ラストタンゴ・イン・パリ

監督ベルナルド・ベルトルッチ

主演:マーロン・ブランド マリア・シュナイダー

★★★★

パリにいた時にリバイバル公開されていたはずで、
この映画を見に行った友人がいたのだが、
鑑賞し終わって帰って来たその友人は、
「マーロン・ブランドがモロ出ししてた!」なんて言ってたと思う。
マーロン・ブランドが本当にあそこまで出しちゃったのかと思った。
この友人、ひょっとしたら他の映画を見て来たんじゃないかと今になって思う。

この映画でのブランドの演技は衝撃的で、
終盤でマリア・シュナイダーに自分のアナルに指を入れさせるところとか、
そんな表情をカメラの真ん前でクローズ・アップで見せるものだから、
驚いたの何の、公開が中止された国があったのも頷ける。
センセーショナルな話題とともに注目されたのは、
相手役のマリア・シュナイダーだった。
当時幾つだったんだろうか、
映画の中の設定じゃ二十歳ということになっているが、
ブランドの枯れ具合とは対照的な、
はちきれんばかりの彼女の裸体に誰もが目が釘付けになったはず。
結局劇場でこの映画を見る勇気がなかったと言うか、
おそらく成人指定だったのかな、劇場に入れたのかどうかも覚えてない。
見ることが出来たとしても、まだ少年だった私がこの映画を見ても、
何を言いたいのか理解なんか出来なかっただろう。
フランス人の裸は綺麗だなと、そんなところばかり見ていたはずだ。
ビデオではとっくに解禁になっていたものの、
30数年の時を経てようやく日本の劇場で、
映倫の手の入らないものを見ることが出来るようになったわけだ。
しかし30数年という時間はあまりにも長すぎたな、
今この映画を見てもそれほど驚かないし、
全盛期のベルトルッチが描いた小難しいテーマもさすがに古臭さを感じてしまう。
古臭くともここにあるテーマは、
平凡な一般市民にはなかなか理解出来るものではないようだが

マーロン・ブランドが逝ってしまった今年は「ゴッドファーザー」がリバイバルされ、
一度スクリーンで見ておきたかったこの映画も見ることが出来ず、
何故か新宿の片隅の映画館でこの「ラストタンゴ・イン・パリ」がリバイバルされているのを知ったのです。
今時「無修正完全版」などと謳わなくたって、見たい人はやってくる。
むしろこの映画のことを知らない人は見向きもしない映画だろうな。
館内はベルトルッチを崇拝するかのような世代の人も多かったが、女性ひとりで見に来ていた人もいた。
芸術かポルノか?なんて宣伝されていたと思う。
若い女性の感想では、ブランドがただのエロおやじだなんて思った人もいるようだが、
決して芸術作品ではないわな、でもポルノでもない。
「エマニエル夫人」や「O嬢の物語」だって、公開時にはソフトポルノだなんて謳われたが、
音楽の印象深さもあって女性が見に行ける映画になっていたし、実際女性客の方が多かったんじゃないだろうか。
反対に男の方が照れてしまって劇場に入れなかったような記憶もある。
マリア・シュナイダーも単純に綺麗なだけのヒロインであってはいけないのだが、
映画を理解出来ないと表面上の欠点を槍玉にあげる人もいるようだ。
黒澤監督の「生きる」に出て来た小田切みきさんのくったくない笑顔と若さが、
「生きる」にとっていかに大事な要素であったか、あの映画を理解した人なら説明も不要だろう。
「ラストタンゴ・イン・パリ」でのシュナイダーの若さは、単純に綺麗なだけのヒロインが出せるものとは明らかに違うのです。

名も知らぬ男と女が出会ってすぐに始まる、唐突とも思える最初のセックス・シーンは、
どうしてそうなるのかなんてのを、左の脳だけで受け止めたら絶対に理解出来ない。
過激な描写の裏には妻を亡くした男の悲しみをぶつけるやり場のなさがあり、
決して互いの素性を知ろうとしないところも何となくわかる気がするな。
大胆な性描写ではなく、ブランドがおいおいと泣いて見せるところに映画の本当の姿があるのかも。
若干31歳だった若きベルトルッチが創造したものを当時の観客がどれくらい理解したのだろうか。
今見るとなんてことない描写でも公開当時は多くの評論家や観客が絶句した。
マーロン・ブランドが何故こんな役を演じたのかということと、なかでも話題になったのがアナル・セックスを取り上げたこと。
ブランドがマリア・シュナイダーをうつ伏せにして、バターを塗るところなんか驚いた。
さすがに肛門には興味がなかった、後ろの穴で快感を得るという行為がどうにも理解出来なかった。
今でも理解なんぞ出来やしないが、便秘がちの女性はさぞかし・・・・・XXX・・・
描写だけなら 現在のアメリカやヨーロッパの映画に出てくる描写の方が遥かに生々しくて下品だし、
ましてや「KEN PARK」のような映画が公開される時代だ、
こんな映画を見て来た人が比較して批判しても意味がないでしょう。

まだ階段を駆け登れる頃のブランドの姿は今見ると若々しささえ感じる。
私がブランドを意識したのはこの映画であったし、続く「妖精たちの森」なんてのは、
当時読んでいたヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」の前章にあたる話ということで注目していたもの。
そしてあの「ゴッドファーザー」であり「地獄の黙示録」に発展して行くのだが、
70年代までのマーロン・ブランドは迫力があったな、
「DNA」での無様な姿を見せられてからは、ブランドが出ているというだけで、映画を見たいと思わなくなってしまったもの。
映画を見る意欲が失せる俳優、これもある意味、ブランドが怪物であったということなのかも。

公開された年を調べてみたら1972年とあった。
改めて今見直してみると描写は強烈ながらも、ストラーロの撮影のおかげなのか品性を感じる映像になってます。
影の使い方がまるで黒澤映画のようです。
「ラストタンゴ・イン・パリ」に映し出される風景は、さすがに30年という月日の流れを感じてしまうが、
古き良き時代のヨーロッパの香りを漂わせているようだし、
60年代の名残を残しながら、ヨーロッパが少しずつ変わって行く気配を感じることが出来ます。
アンジェイ・ズラウスキーのような監督が現れて、ヨーロッパの映画がつまらなくなったと思っていたけど、
先駆者のミケランジェロ・アントニオーニだって子供には理解出来ない映画を撮っていたし、
後を引き継ぐようにベルトルッチも、相当に尖んがった映画を作っていたと思う。
大作「1900年」だってヨーロッパの歴史を知らなきゃいけないようなところもあって、
世界各国で編集されたものが違うという困った作品だった。
先日公開された「ドリーマーズ」なんか全盛期のベルトルッチ作品に比べたら柔らかい作品に感じてしまう。

1983年頃だったか、仕事でLAに行ってた時に、
Tower Videoに発売されたばかりらしいこのビデオが大量に並べられているのを見つけたのですよ。
価格もかなり安く設定されていたと思う、
買って帰りたいなと本気で思ったが、成田で没収されるに決まってる。
衆人が見ているところでこんなビデオを没収されるのを見られるのも恥ずかしい。
結局諦めるしかなくて、問題なく持ち込めるABBAとかFleetwood Macの音楽もののLDを買って帰った。
ビートルズのLet it beもこの時に買ったと思うが、
当時からアメリカの映像ソフトは日本じゃお目にかかれないものばかりで、
つくづくアメリカに住めたら楽しいだろうなと思ったものだ。 脱線。

無修正版を初めて見たのは10年くらい前になるのかな、
少し規制が緩くなった頃に、輸入盤店でこの映画のLDが入荷しているのを見つけたのです。
他の盤に比べてかなり高かったはず、クライテリオン盤だったのかな、
丁寧にフィルムの修復がなされていて、いい状態の映像を見ることが出来るようになった。
この時にもベルトルッチとブランドが描いた映画のテーマなどほとんど理解してなかったと思う。
見事なマリア・シュナイダーの裸に見とれるばかりだったはず。

今回のリバイバル公開でのフィルムがボロボロだったのが残念だったが、
ヴィットリオ・ストラーロの撮影はキューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」を思わせるようなライティングで、
もしも最新技術で修復されたフィルムだったなら、ストラーロ特有の色の出し方に見とれていただろう。
タングステン光を感じる赤みを帯びた部分から、窓外の光しか差し込まない部屋に移ると一気に青みの強い映像となり、
後の「リトル・ブッダ」で印象的に使い分けられた手法が、
すでにこの「ラストタンゴ・イン・パリ」で始まっていたのだなと再確認した。
ベルトルッチのカメラワークに収める為にブランドに細かな立ち位置をつけているのも見えてしまうし、
ブランドがおとなしく言うことを聞いたのかなと想像したり、歳をとると素直に映画を楽しめなくなってしまうようだ。
しかも何度か見ている映画だと職業的に見てしまう部分がほとんどになってくる。
こんな見方から離れられないと、いつまで経っても素直に映画を楽しむことなんか出来ないのだろうな。
私が未だにキューブリックの遺作「アイズ・ワイド・シャット」を理解出来ないのもそんな理由があるのかもだ。
理解出来ないから面白いと思っておくことにするか。
ストラーロはこの後「地獄の黙示録」でブランドと再び顔を合わせることになる。
初めて★0を出してしまった「エクソシスト・ビギニング」もストラーロの撮影だったのに、
撮影を語る以前の映画の出来に、何故ストラーロがこんな作品を撮っているのかと不思議に思ったものだ。
考えてみたら、ポール・シュレーダーだから受けた仕事だったのかな?


2004/12/2

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